日本で最初に登場した幕府は、鎌倉幕府です。成立年は1185年が有力です。 教科書では昔は1192年でしたが、現在は1185年に変更されています。 1185年は、壇ノ浦の戦いで平家が滅亡、源頼朝が朝廷の許可を得て守護・地頭を全国に配置した年です。治安を守る機構が出来上がり頼朝が支配権を持っています。 1192年は、源頼朝が征夷大将軍に任命されました。征夷大将軍は朝廷の令外官(りょうげのかん)の一つです。鎌倉幕府の最高の権力者としての地位を得ています。 鎌倉幕府の成立年は、歴史学者の判断に基づくものです。 ここでは、1186年の会合図を使い当時の日本の状況を読み取りたいと思います。 天文データ:Placidus、Solar Fire参照 1186年の会合図には多くの情報がありますが、簡潔にまとめるために私の占断を4つだけ書きます。 1. 権力者の影響力は強い。少なくとも一人は数年後に健康問題が生じ亡くなる可能性がある。 2. 警察と防犯の強化。犯罪者や逃亡者の逮捕と処罰。税制改革。 3. 日没後に地平線近くで、輝きを増しながら短時間で没する金星は源義経である。 4. 飢饉、疫病、不作。衛生状態、治安が悪い。水の害(干ばつと洪水)、地震、人的な害か自然災害。 順番に解説します。 1. 権力者は、後白河天皇と鎌倉幕府の源頼朝。 二人はMC支配星の土星です。土星と木星はエッセンシャリに強くミューチュアルリセプション、第5ハウスの終わりにあり第6ハウスに向かいます。金星の接近のミューチュアルリセプションもあります。 二人は荘園領主など力ある人々への影響力や支配力が強く、法や規律の類、税を統制します。公的機構の改革をして国民に影響を及ぼします。 強さと勢いがある権力者ですが、少なくとも一人は健康面で5-6年後に弱まり亡くなる暗示があります。土星、木星、月、太陽のチャート内の位置によるものです。後白河天皇が1192年に崩御していますが、会合図に合致しています。 頼朝は1199年に亡くなっていますが、この会合図単体では読み切れません。 2. 守護と地頭の設置と謀反人の追跡。 警察や防犯の強化とは、この当時設置された守護・地頭のことで、史実と合致します。第12ハウスは、公安組織、牢獄を表す一方、強盗やスパイを表します。逃亡者は第7ハウス、地方とその権力者は第4ハウスです。第4と第12ハウスの支配星の太陽と火星がさそりで第6ハウスにあります。犯人を捕らえる役割が国と地方の両方にあり、公的機関として機能します。 逃亡者は第7ハウス内の天体です。会合図では金星です。いて10度の金星はタームのエッセンシャルディグニティがあり、木星、土星とミューチュアルリセプションです。この人物は主体性があり、現場を統括する能力が高く、人に慕われ、社会的影響力があります。木星や土星に示される人物とも強くつながります。この地位と影響力のある人物が追跡されます。 税の回収が進みます。第2ハウスの水星が税ですが、チャートでは穀類と同等です。税を集めることと飢餓の進行が1186-1187年に同時に起こる会合図です。深刻な自然災害と疫病、衛生状態の悪化も出ているので一部では負担は大きかったでしょう。 3. 源義経は輝きを増しながら短時間で没する金星。 源義経は占断上はいての金星です。頼朝の兄弟はMCから3番目のハウス、火星と金星のいずれかを使いますが、義経が年の離れた下の兄弟であること、火星を公安面で使うので金星です。 第7ハウスの品位のある金星は国民に好まれやすいです。国民は義経に好感を持ちます。 金星は太陽と18度*離れています。私の実視観測の経験では日没直後のこの距離の金星は、まだ肉眼で観測できます。日没後のわずかな時間に、太陽の光を浴びて強く光り、輝きを増しながら沈んでいくのです。この金星の様子は、当時、後白河天皇に官位を受けながら、頼朝に追われて亡くなった義経と重なります。 金星が木星、土星とアスペクトを完成するまでの期間は2年弱を表しますが、その時期を境に追手が強くなり、逃亡が困難になるでしょう。義経は3年後の1189年に亡くなっています。 後白河天皇は土星に示されると先に書きましたが、古典では太陽が王を表すことから天皇を表すもう一つの天体です。太陽はすでに西に沈んでいますから、後白河天皇は弱り始めている時期です。その中で義経に輝きを届けています。しかし義経は後白河天皇からも離れていきます。 金星には他の天体の悪いアスペクトがありません。マンデン図で天体が輝きを増しながら没する様子は、人々にすばらしい印象を残す人物がいる印です。牛若丸の源義経の物語そのものでしょう。 4. 飢饉、疫病、災害と復興。 第4ハウス、第5ハウスの支配星と第12ハウスの支配星が第6ハウスにあります。人災や自然災害があること、水星のコンバストで飢饉や災害の兆候が見られます。水とトイレなどの公衆衛生の状態が極めて悪く、流行病は短期間で広域に拡大します。乳幼児や子供の被害が著しいです。 歴史上は1181年に養和の飢饉がありましたが、その影響が残りながら1186年の大会合があり、会合図が示すように1186年から1-2年間に戦争や大きな自然災害が生じたのではないかと思います。このあたりの史実の確認はいつか余力があればしようと思います。 木星と土星の位置から、公的機関が強化されて何らかの復興は進みそうですが、その只中に災害が起こるでしょう。貧困と食糧難は甚大です。 * 初回掲載時12度と記載していたものを修正しました。 |
2020年1月27日更新 2020年1月26日新規 森谷リリ子
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